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洛和会ヘルスケアシステムで働く職員のインタビュー

目指せ! 東京パラリンピック出場 車いすフェンシング 期待の星

櫻井 杏理(さくらい あんり)

京都府京都市出身。京都府立桃山高等学校卒業後、行岡リハビリテーション専門学校で理学療法を学ぶ。20歳の時に受けた椎間板ヘルニアの手術で後遺症が残り、車いす生活を余儀なくされる。その後、2014年に車いすフェンシングに出会い、半年後にはナショナルチーム入りを果たす。2017年ワールドカップ(ハンガリー)エペ2位、2017年世界選手権(イタリア)エペ6位、2018年日本選手権(男女混合)フルーレ2位・エペ3位など、輝かしい成績を収めている。現在は2020年の東京パラリンピック出場に向けて活動している。

(2018.7.31)

今回の「アスリートvoice」は特別編として、2018年5月から当会の洛和メディカルスポーツ京都丸太町の会員として施設利用をされている、車いすフェンシングの櫻井杏理選手をご紹介します。

スポーツとの出会いを教えてください

走るのが好きで、小学生のときに長距離走を始めました。小学校で行われるマラソン大会で成績が良かったので、先生に薦められたのが本格的にスポーツを始めたきっかけです。京都だと大文字駅伝が有名ですよね。小学校・中学校・高校とずっと陸上部で長距離をやっていました。小さい頃から何か1つに熱中するようなタイプだったので、たまたま出会った陸上にのめり込んでいきました。高校卒業後は理学療法士を目指して専門学校へ進学しました。姉が看護師をしていたので、医療という分野が割と身近にあって、医療職に就くのは自然な流れでした。ただ、看護師ではなくて、スポーツに携われる理学療法士になりたいと思うようになったんです。理学療法士の資格を取って、ある程度臨床の経験を積んだら青年海外協力隊で海外に行こうと思っていました。日本だけではなくて、広い視野を持って、いろいろな世界を見てみたかったんですね。

学生時代にけがをされたのですか?

もともと高校の頃から椎間板ヘルニアを患っていたのですが、専門学校に通っている頃に症状が悪くなってきてしまいました。陸上だったり、専門学校での実習だったり、老人ホームでアルバイト、休みの日はスキーにも行っていたので、長年の積み重ねだったと思います。

手術で後遺症が残ってしまった?

専門学校の最終学年で、最後の実習前でした。その頃には椎間板ヘルニアの神経障害が悪化してしまい、手術を受けて状態を改善させた上で実習に臨もうと、当初はそういうプランでした。しかし、その時に受けた椎間板ヘルニアの手術で神経を傷つけてしまい、後遺症が残ってしまいました。後遺症が残ってしまったこと自体ももちろんショックだったのですが、理学療法士への道を諦めなければいけないという現実の方がショックは大きかったです。高校卒業と同時に進路も決めて、明確に目標があったからこそ、いきなりそこを絶たれてしまって、これからどうしていいのか分からずに、どこかで悪い夢を見ているだけじゃないかと、精神的にも辛い状態が1~2年は続きました。

手術後はどのような生活でしたか?

入院生活が2年という長い期間でした。原因の特定に時間がかかってしまい、再手術を行ってはリハビリテーション(以下リハビリ)の繰り返し。最終的に手術は5回にも及びました。同級生たちは理学療法士の資格を取って臨床で働きだしていたので、自分は何をしているんだという葛藤だったり、障害に対しても受容することがなかなかできなくて、非常に苦しんだ時期でした。

そのような状況から回復されたきっかけは?

何か大きな出来事があったわけではないんです。初めの転機は、当初入院していた病院から京都府立医科大学附属病院(以下 府立医大)へ転院をしたことでした。元の病院から府立医大へと私を救い出してくれたのが、現在の洛和会丸太町病院 院長の細川先生なんです。そこでの医師や理学療法士たちとの出会いの中で「背負ってしまった障害とどう生きていくか」ということを、考えていかなくてはと思えるようになってきました。もちろん、時間の流れもあったと思うのですが、人との出会いの中で、徐々に改善していったように思います。

再びスポーツに挑戦されたきっかけを教えてください

退院して少し落ち着いた頃に、何かしら仕事を始めたいと思い、あるアウトドアブランドのオープンスタッフに応募したんです。もともとそのブランドが好きだったのと、今までとはまったく関係のない世界に飛び込んでみるのもいいのではないかと思ったんですね。そのブランドのスタッフとの出会いがあって、またスポーツを始めてみようかなと思えるようになりました。夏にはサーフィン、冬にはチェアスキーをするようになり、手段は違えど、一緒の時間であったり、場の共有であったり、スタッフたちの協力もあって、少しずつ障害を受け入れていくきっかけになったと思います。

フェンシングとの出会いを教えてください

出会いは本当に突然でした。お店で勤務している際に、接客が終わったタイミングで声を掛けてくださったのが、当時の日本車いすフェンシング協会の事務局長でした。「とりあえず一度練習を見に来てください」と熱心に誘われて、行ってみたんです。見学に行ったら、早速その日に剣を握らされました(笑)。

実際にフェンシングをしてみての感想は?

すごく難しいというのが正直な感想でした。対面競技も初めてでしたし、ましてやフェンシングってルールに使う表現が全部フランス語なんですね。一つ一つがすべて難しいという印象でした。今までは「よーいどん」でスタートして、結果が決まる陸上しかしてこなかったので。

フェンシングの道を選んだ理由とは?

アウトドアブランドに勤めたときもそうでしたが、どうせやるなら新しい世界に飛び込んでみるのもいいかなという思いでした。周りの人には「何で陸上じゃないの?」って言われましたし、いまだに言われます。もちろん陸上をまたやってみようかなという気持ちもなかったわけではないですが、自分の青春時代のすべてをささげてきた陸上で、車いすであのトラックに踏み入れるというのが自分の中でどうしても受け入れられなくて、あえて選びたくなかったんですね。そういったタイミングでフェンシングとの出会いがあったので、これも運命なのかなと思いました。

フェンシングを始めて半年でナショナルチーム入り!?

国内の競技人口も少ないですし、認知度も低いので、普通の競技以上にナショナルチーム入りしやすい環境だったと思います。すでに東京オリンピックの開催が決まっていた状況で、リオデジャネイロオリンピックの選考も始まっている段階でしたので、少しでも早く第一線で戦えるようになってもらいたいという協会の思いや期待もあったと思います。

フェンシングに出会って生活は変わりましたか?

正直自分でも笑ってしまうくらいに激変しました。もう完全にフェンシング中心に生活が回っています。でも、車いすフェンシングに出会ったことで、毎日が本当に充実していますし、いままで経験できなかったことが日々経験できているので、ポジティブな面が多いです。障害を受けた当初から私のことを知っている理学療法士や主治医たちからしてみれば、本当にフェンシングと出会えて良かったと感じていると思います。

車いすフェンシングと出会ってよかったことは?

同じように障害を持つ人と接する機会を持つことができたことですね。他の選手たちと交流を深めていく中で、少しずつ自分の障害に対しての受け入れとか、向き合い方が変わっていった大きなきっかけだったと思います。そういう意味で車いすフェンシングの存在というのは大きかったです。

洛和メディカルスポーツ京都丸太町を知ったきっかけを教えてください

理学療法士をしている同期から、こういう施設が出来たらしいよという話は聞いていたのですが、当時は「へぇ~」というくらいにしか聞いていなかったんです。今までは職場が大阪でしたが、今年から東京パラリンピックの選考が始まるということで、より競技に集中するために活動のすべての拠点を京都に置くことになりました。新しい施設を探す時に友人が以前に話していたことを思い出したんです。また、私が10年来お世話になっている元府立医大の細川先生が、今年度から洛和会丸太町病院の院長に就任されているのを知り、そういったご縁も感じて通ってみたいと思うようになりました。

洛和メディカルスポーツ京都丸太町の魅力はどんなところでしょうか?

母体に病院があって、こういった運動施設をされているところはなかなかないので、医療的なバックアップがある部分も魅力です。また、施設全体がバリアフリーになっていて、出入り口の間口もとても広いですし、目の前の駐車場からも無理なく入ってこれるので、車いすでも不自由なく利用できる点も大きいです。

大きな壁に当たった時の乗り越え方は?

時間がある程度は解決してくれる部分もあると思いますが、周囲の人との関わりが大切だと思います。障害を負ったことをきっかけに、友人・知人とはそれまで以上に関係性も深くなりましたし、障害を負ってから出会った人たちは、障害があろうとも一人の人間として評価してくれたので、人との関わりが大きかったです。

今、障害や壁にあたっている人に、メッセージをお願いします

無理にすぐに受け入れる必要はないのかなとすごく感じます。私の場合は障害を負ったことによって、今までは簡単にできていたことができなくなって、やる前からどうせ無理だろうとか、かなわないだろうとか、諦めてしまう傾向が強かったんですけど、その中でも実際にやってみることが大切だと思います。障害というシリアスな場面を乗り越えてきたからこそ、あのときより苦しいことはもうないだろうという思いが今、逆に糧になっていると思います。どれだけ競技で壁に当たっても、あのときに比べたらちっぽけな壁だと思えるようになりました。いつかは「あのとき障害を負ってよかった」と思えるような人生にしていきたいというのが、これからの残りの人生の命題だと思っています。

将来の目標や夢を教えてください

ものすごく漠然としているのですが、東京パラリンピックがゴールではないので、その先も自分らしい人生を続けていくこと。何かしら自分の経験を生かしながら、もう一度、医療に携りたいと考えています。

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