京都の町

京都に住んでいる人は、自分の町内の名前をよく知っていると思う。
何年か前に区画整理的な法律が通って、全国の町名が消え、大阪の様に例えば、伶人町が天王寺3-1-2のようになった。

だが、全国で京都だけは、一つもこのようになっていない。

現在京都市には、ざっと数えても4,900近い町があり、直近の郵便番号帳の京都市は、14ページもある。
東京都全域でも5ページだから、京都市は異常である。

そのかわり、人が一人も住んでいない(住民票に一人もない)京都裁判所近くの町もあれば、洛和会発祥の地である「矢野医院」のある「木賊山町(とくさやまちょう)」のように、室町時代から、歴史上に残っている町まである。

これはなぜかというと、平安京の成立に源がある。
碁盤の目に町を区切り、出来た正方形の一辺は約120メートルで、その中をさらに小さな通りを作り、普通、全国的には道路を境にして区切られているが、京の町は道路の両側を挟んで、一つの町を作る「両側町」を作った。

だから、辻と辻の長さは、先ほどの約120メートルであり、通常と比べて京の町は、小さな小さな町になったのである。

さらに豊臣秀吉により、その正方形の中央に南北の真中に道を作られ、さらに小さな町内になった。
この時に「天使突抜町(てんしつきぬけちょう)」などの新しい町が増えているし、祇園祭の山鉾町がいい例で、非常に近くに、すべてある。その距離は100メートルぐらい。これに加え、京都町の特長である細い路地を作り、さらにその奥に人が住んだ。日本でも珍しい複雑な町になったのである。

1200年続いた町であるが、そろそろ町の中心部の再開発のときが来ているのではないかと、私は思う。
各町内に空き家が2、3軒あるのを散歩するたびに見付ける。

寂しい限りである、と思うのは、京都で生まれて京都で育った私一人であろうか?

洛和会ヘルスケアシステム 理事長 矢野 一郎(有洛)