理事長コラム
- ▼ 日本ミツバチ
- 皆さん、日本には2種類のミツバチがいるのをご存じですか? 何億年も前からこの日本に住んでいた日本ミツバチと、明治以後、採蜜を目的として外国から導入された西洋ミツバチです。どう違うかというと、この紙面100ページぐらい使用しますので省きますが、日本ミツバチの方が、蜜の集め方が西洋ミツバチと比べて、3分の1ぐらいしか集めず、勝手で、すぐ巣ごと逃げたりして、要するに人の手に慣らされず、野生の本能を強く残したハチです。
私はこの日本ミツバチを、自宅の屋上(四条烏丸付近)で趣味で飼っております。5群、約15万匹のミツバチが元気に飛んでおります。今年(2011年 現在)はすでに9キロほど採蜜しました。
この強い日本ミツバチにも、最近異常が起こっています。数年前より、ミツバチが巣ごと全て失踪してしまう事件が世界中で頻発しています。とうとう「蜂群崩壊症候群(CCD)」と名づけられたぐらいです。別にハチぐらいと思われるかもしれませんが大違いです。
私たちが毎日食べているオレンジや野菜、その8割近くがミツバチの花粉媒介者のおかげなのです。原因は何なのでしょう。いろいろ言われていますが、私はこの10年ほど前より、世界中で使われ出した「ネオニコチノイド」系の農薬だと思っています。この農薬は、吹き掛け、雨で流されてしまう農薬とは違い、種に浸せば成長後も「植物全体」に行きわたり、昆虫の神経に作用する毒となるのです。これが従来の有機リン系農薬と違い、ミツバチの方向感覚を狂わし、巣に戻れなくしているのです。
このネオニコチノイド系はわれわれが食べている「米」にも最近使用され始めているのです。怖いですね。でもこれと同じことが、われわれ医学の世界でも起こっているのですよ。病原菌、ウイルスと抗生物質などの薬との戦いです。効果をとるために副作用に目をつむるのか、多分、今は誰も答えは出せないでしょう。でも、ミツバチにしろ、人間にしろ、その答えは私たちの3代後の世代が出してくれるでしょう。肉体的結果、精神的結果として。2012(平成24)年1月1日
洛和会ヘルスケアシステム 理事長 矢野 一郎
- ▼ 流れ星
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最近読んだ『流れ星の文化誌』(渡辺美和・長沢工 著)の本の中に、私の誤解を解く面白い記載がたくさんありました。まず根本的に、皆さんは流れ星とは何かご存じですか?
私は、隕石が飛び込んできて、大気圏に突入して、燃焼して燃え尽きるものだと思っていました。ところが違うのですね。「流星物質」というべきものなのです。その流星物質の大きさは極めて小さくて、直径1ミリから大きくても1センチで、指でつまむと壊れやすい「クッキーのかけら」みたいなものだそうです。それが地上100キロメートルの大気中、ちなみにジャンボジェット機は、高度1万メートルの所を飛ぶのですから、そのジャンボ機が飛ぶ10倍上空、百キロメートルの先の光を見ているのです。
では、なぜそんな小さな物質が大きく輝くのでしょうか? それは、その小さな物質が猛烈なスピードで大気に突入してくるからです。大体秒速70キロメートル。すごい速さです。そのスピードで大気圏に突入すると「小さなクッキーのかけら」は壊れながら大気分子に衝突して、一時的に「プラズマ」という状態になります。このプラズマの生じる光を私たちは「流れ星」と呼んでいます。
つまり1秒見えた流れ星の長さは70キロメートルもあるのです。すごいと思いませんか? 京都でも、私が小さいころは、住んでいた四条烏丸付近でも天の川や流れ星がよく見られましたが、残念ながら最近は全く見られません。もう一度見てみたいものです。
われわれの組織も大きくなりましたが、流れ星のように、若い者で大きく光り輝く人たちが多くいて、大きな隕石(偉い人?)が地球に落ちて地球に害を出すのではなく、クッキーのかけらでも、あんなに大きく光り輝けることを見せてくれることを期待しております。2011(平成23)年10月20日
洛和会ヘルスケアシステム 理事長 矢野 一郎
- ▼ 夢を語れる職場
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最近、日本の上場企業や会社をみていて、おかしいと思うことが多くなってきた。「松下幸之助」は、どこへ行ったのかと考える。電球1個を作るのに、多くの人が暗い夜道を通れるように、その明るさの下にある、一軒一軒の家庭の笑顔をつくり出すために、電球を作ると松下幸之助は言っていた。戦後64年、日本人は、日本のために、日本人の幸せのために、迷いもなく走ってきた。
しかし、皆さんは、1998(平成10)年から13年間、日本は経済成長していないのをご存じだろうか?
そのため、企業は生き残るために、リストラ、派遣切り、多くの工場閉鎖、安い労働力を求めての海外への生産拠点の移転などを行ってきた。
私は思う。今、この時代に、この国に堂々と夢を語っている経営者が、どれだけいるのだろう、と。
それではどうすればいいのだろう。
われわれの病院でも、朝、出社して、すぐあいさつもせず、パソコンのスイッチを入れ、隣の人とネットで会話を始めるという「タコ壷人間」はいないだろうか?
いつのころからか、日本人は、他人に対する無関心と、「マジ」「チョームカ」などのセンテンスの短い言葉であふれかえってしまった。職場で会話はありますか?職場で雑談はありますか? その雑談の中から現状の問題点や、職場を1年後、3年後どうもっていくのか、私の将来をどうしたいのかの夢が出るのではないだろうか?
私が理事長になったとき、病院という所はあまりにも数字の管理がなっていない。なっていないというより、0に近いと感じた。予算委員会で、数字の管理を言い続けてきた。しかし、数字管理を、われわれの100倍もやってきた日本の企業の現実をみて、最近考えさせられる。今の企業には、売っているもので人を喜ばせるという夢がなくなったのだ。夢のない職場、これほどつまらないものはない。数字だけではなく、職場には夢が必要なのだと。せめて洛和会ヘルスケアシステムは、いつも夢を語れる職場であってほしいし、私はそうもっていく決意をしている。2011(平成23)年7月20日
洛和会ヘルスケアシステム 理事長 矢野 一郎
- ▼ 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
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2011(平成23)年3月11日午後2時46分ごろ、東北・関東地方で強い地震があり、宮城北部で震度7が観測された。震源は三陸沖で、地震の推定規模マグニチュード(M)は9.0と国内観測史上で最大規模。地震を受けて東北地方の太平洋岸など広い範囲で大きな津波が発生し被害が拡大された。4月13日時点の報道では死者と行方不明者は合わせて2万8,483人、被災された方々の正確な人数は未だ明確でない。被災された方々にお見舞いと、残念ながら亡くなられた方々に哀悼の意を表します。
ニュースを見ていて、津波の引いた泥沼にポツッと残った建物が病院であるのは、何とも気が休まる思いである。しかし、ライフラインをもぎ取られた病院が、津波の前まで人工呼吸器や心電図などでモニター管理されていた重症患者さまをどうされたのだろう? これらの患者さまのみならず、被災された方々の応急手当、食事まで業務を拡大せざるを得なくなると、病院に取り残されたスタッフの疲弊は想像を絶する。
当会も16年前の阪神・淡路大震災では、救護班を結成し8日間、延べ150人のスタッフを救護所に送った。医薬品・医療材料に加え、毎日スタッフが消費する飲食物の補充が大変であったと記憶している。この教訓を生かして、『京都で大地震が起こったら』を想定し、「大規模災害救急用救急車」を導入。さらに通信網は従来の地上回線に加え、衛星回線「イリジウム」をバックアップとして急性期病院を中心に病院4カ所と救急部門1カ所、計5台導入した。
しかしながら東京事業所において、今回の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の影響で、当日帰れなかった職員が40人。そのうち30人が施設に臨時宿泊し、後片付けや次の日の乱れたシフト体制を整えてくれたと聞く。翌日は3時間も歩いて出勤してくれた人、深夜明けで3時間ほどしか眠っていないが心配して駆けつけてくれた人…さまざまである。半面、交通混乱を理由に臨時休暇を取得する人もいたと聞く。
本来なら、職員が災害に遭遇したら、「まず自分の安全、そして家族の安全。会社の仕事はその次で良い」と言いたいのだが、患者さまや施設利用者さまの命をお預かりしている私たちの仕事。さあ、どう言ったら良いのだろうか? 悩むところである。でも、まずは家庭の損害も心配であるのに、東京の介護施設の回復に努力いただいた方々に、まずはお礼を言いたい。2011(平成23)年4月20日
洛和会ヘルスケアシステム 理事長 矢野 一郎
- ▼ なぜ1年1回のがん検診が必要か
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今、日本人の3人に1人は、がんで亡くなっています。
なぜ、1年に1回のがん検診が必要なのでしょう。年末に、ある先生の本を読み、なるほどと納得しました。
がん細胞は1個が2個、2個が4個と倍々に増えていきます。30回で1g(1cm)に成長します。がん検診で発見できるがんの大きさは1cmです。時間にして10~15年かかります。この1cmのがんが、2cmになるのには、たった3回の細胞分裂でよく、時間にして1年半です。がん細胞も40回の細胞分裂で、成人の握りこぶし大になると人間の命を奪います。
がん自身の平均寿命は20年ぐらいです。 したがって、がんが発生してから20年の間でがん検診によって早期がん(がんの大きさが1cm~2cm以下)が、発見できるのはたった1~2年ぐらいの期間に限られるのです(中川恵一著『がんのひみつ』より)。ですから、毎年継続的に、がん検診を受けないと、早期がんを見逃すことになるのです。
今回の検査では「今日、がんがない」ということでも、明日にはがんができている(大きくなる)かもしれないのです。
私は、父も母も突然死でしたので、私も突然死だと思っていましたが、この本を読み、「よし、今年から1年1回のがん検診を受けるぞ!」と、変に決心した新年でした。2011(平成23)年1月1日
洛和会ヘルスケアシステム 理事長 矢野 一郎
- ▼ 京都いのちの電話
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皆さん、京都で「社会福祉法人 京都いのちの電話」という組織があるのをご存知ですか。自殺予防のために、ボランティアの人が、24時間電話相談を受けています。国からの資金援助なく、全く民間の寄付で、運営しています。千人会という組織をつくり、個人や団体からの寄付でやっています。私も、個人としても、洛和会ヘルスケアシステムとしても、援助を永年続けております。
日本はそもそも、自殺者が多い国です。先進G7諸国で1位です。それも、平成に入り、急速に増え、それまで2万人台前半で推移していたのが、2000(平成12)年に急増し、3万人を突破し、現在まで10年連続3万人を超えています。1日平均89人、16分に1人が自殺しているという計算です。性別では、男性が72.5%という圧倒的な数です。やっぱり男性の方が弱いのかと考えさせられる数です。
自殺者がもっとも多いのが50歳代の男性で、全体の25%を占め、それも50歳代後半にピークがあります。
自殺理由には、男女問題、学校問題、家庭問題、経済生活問題などいろいろありますが、この世代は、経済生活問題が自殺理由の1位です。失業問題だけでなく、精神的な重圧感や自分に対する評価の低さ(職場でも、家庭でも)などが、からみあって絶望していくようです。
われわれ洛和会ヘルスケアシステムでも、職員のメンタルヘルスケアに対して、いろいろ手を打っていますが、まだ、いまいち、というところです。
もうすぐ皆さんに発表があると思いますが、この下半期より、個々の評価の見直しと、新制度の創設のために「役職等級制度」を導入します。より公平な評価をめざして行うものです。
「京都いのちの電話」がもっと活躍できて、若者の自殺がなくなり、中高年の老後が、自殺なく、美しい死に方になることを、願ってやみません。2010(平成22)年10月20日
洛和会ヘルスケアシステム 理事長 矢野 一郎
- ▼ 帰ってきた"はやぶさ"に感動!
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"はやぶさ"といっても鳥(鳥類 タカ目 ハヤブサ科)ではない。2010年6月14日未明(日本時間13日深夜)にオーストラリアの砂漠地帯に炎の尾を引いて着地した、日本の小惑星探査機「はやぶさ」のことである。小惑星イトカワの岩石採取に挑んだ探査機「はやぶさ」は月より遠い天体に着陸し、地球に戻って来たのは史上初の快挙だという。
はやぶさの構想は、1985年(四半世紀前)に生まれていた。「科学に新しい視野をもたらす」「広範囲の科学者、技術者が情熱を持てる」「文化史的な意義を持つ」などを挙げ、「将来へ大きな夢をたくす計画」と意義づされていたが、現実にプロジェクトが認められたのはそれから約10年後であったらしい。それも、「難しいミッションで、リスクが大きすぎる」「米国もやらないような挑戦できるわけがない」など、陰口が聞こえる散々の船出だったらしい。
2003年5月の打ち上げから約7年、総航行距離約60億キロにも及ぶ長いたびはトラブルの連続。打ち上げ直後、4基あるイオンエンジンの1基が不調になり、イトカワ着陸前には、姿勢制御装置3台中2台が故障。着陸直後には燃料漏れがきっかけで通信が途絶。復旧した後も、12台の姿勢制御用化学エンジンすべてが故障。帰還に欠かせないイオンエンジンがすべて故障。だが、そのたびにチームは知恵を絞り、使えるシステムを組み合わせてピンチを切り抜けての帰還だ。
感動するのは、プロジェクトを率いた宇宙航空研究開発機構(JAXA)の川口淳一郎教授が成功の喜びに浸りながらも言われた言葉。はやぶさの成功で「日本の惑星探査に自信と希望を与えられた」と喜びと自負を見せたが「この瞬間から技術の離散と風化が始まっている。将来につながるミッションが必要だ」と言い切られたことだ。
私たちの医療経営も、望みを失わず、チームがもてる専門性を高め、日々可能性を追求し、微々たる歩みであるが理想を追求していきたいものである。2010(平成22)年7月20日
洛和会ヘルスケアシステム 理事長 矢野 一郎
- ▼ 新入職員に贈る
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本年も150人を超える新入職員を迎えました。若々しい未来を見つめるフレッシュマンを見ると心躍る思いがします。
当会では新しい「洛和会みささぎ病院」や「ありすの杜 南麻布(特養・老健・デイなど)」など、次々と大型施設が誕生し、多くの新人を採用しているのは医療・介護の世界ではまれなケースでしょう。しかし、新入職員の誕生と裏腹に、次なるステップアップとして飛び立つ人や、自信をなくして医療・介護の世界から去る人もいます。人がさまざまな可能性を求めて悩み・飛び立つことは、その人をより大きくし、失敗したとしても次なる実力をつけるという点から、私は大いに賛成するものです。当会に籍を置いたOB、OGが、他の病院や施設などで、院長、看護部長、施設長などとして活躍されていることを聞くと大変うれしくなります。
しかし昨今、医師・看護師不足の中で「医療・介護転職サービス」と銘打った転職斡旋業者が活躍しています。当会も一部で活用はしていますが、安易にコンピューター登録をして、自分の意にそぐわぬとも収入だけで転職する話を聞くと、なぜか悲しい思いが強くなります。
私は人生に無数の切っ掛け(選択するチャンス)があると思います。『幸運の天使には、後ろ髪はない』という話があります。後ろ髪がないからこそ、束の間の出会いの瞬間に掴まないと、捕らえることはできないという話です。「これって、幸運の女神なのかなぁ・・・」なんて、ボーっと眺めていたら、幸運の女神は、さっと行き過ぎてしまうという、皆さまがよく知っている話です。
振り返ると、私も何度も「幸運の女神」を取り逃がしています。しかしすべての「幸運の女神」を捕まえたら、私の人生はどうなっていたでしょう? 世界的な大富豪? ノーベル賞級の学者? いや、多少の違いはあれ同じような人生を送っていたと思います。それは私の初心(志:こころざし)、『病院を継ぐ医師にならなければ!』があるからで、今と同じ結果を生む「女神」ばかりを捕まえていたと思います。
新入職員の方には、偶然にも当会の医療、介護、教育の世界に入り、社会人としての第一歩を歩み出したのですから、ここに将来の人生を思った初心(志)を再度確認していただきたいと念じます。「志」とは、例えば『三国志』というように、『(「誌」に通用)書き記すこと』とされています。どうか心の隅だけでなく日記などにも書き記して、幸運の女神を捕まえてください。2010(平成22)年4月20日
洛和会ヘルスケアシステム 理事長 矢野 一郎
- ▼ 木喰仏~新年の笑いについて~
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"笑い仏"で知られている木喰仏に出合ったのは、数年前のことである。それまで円空仏に興味をもち、見てまわる中で、参拝者の人から木喰仏のことを聞いた。最初に、その"笑い仏"を見た瞬間、はまってしまった。それ以後、全国の木喰仏を見てまわっている。
木喰は1718(享保3)年、甲斐国(現在の山梨県)の山村に生まれ、22歳で出家し、56歳の時に日本廻国の旅に出た。北は北海道から九州にいたる。全国を遍歴し、93歳で亡くなるまで、二千体もの造像をした人である。今でもそのうち六百体が確認されている。
私は木喰仏を見て感じたことが2つある。
1つの仏は、京都の南丹市(八木町)にある清源寺の十六羅漢像である。木喰89歳の作である。京都近辺の人は、すぐ近くなので、ぜひ一度訪れられたらいいと思う。人生50年を過ぎて、旅に出る心境も勇気がいるが、若いころの仏と違い、年をとるにしたがい、心の底からの笑いを表現した仏に変わってきている。こういう生き方は、高齢社会の中での、われわれの生き方の1つの答えを示しているのかもしれない。(参考:金龍山清源寺http://seigenji.gozaru.jp/)
もう1つは、新潟県長岡市の金毘羅堂の仏である。顔を見ていただきたい。すりへって、ぼろぼろ、つるつるである。幾世代にもわたり、子どもたちの遊び相手だったため、すりへったのである。冬にはソリに使い、夏はボート代わりにして川で遊ぶ。何も有名寺院の仏のように、秘仏、秘宝といって、奥にしまうだけが仏ではない。人々の暮らしにとけこみ、人々とともにあってこそ、本当の仏であるような気がする。(参考:NHK 鑑賞マニュアル美の壺http://www.nhk.or.jp/tsubo/arc-20060630.html)
われわれ医療人もそうではないか。
医療界に入ったときは、己を捨てて、人のために尽くし、生きる。そう思って、ほとんどの人は入ってきたはずである。ところが、年を経てくると、仕事のしんどさに、つい原点を忘れてしまう。そういう時にこそ木喰仏の笑い顔を思い出してほしい。自分がつるつる、ぼろぼろになろうが、病が治った時の人の笑顔を見て、医療、介護の世界に入った時の原点を思い出してほしい。自分の笑顔も忘れることなく。
それが、自分が生きてきた、「誇り」と「証」につながると、私は思う。2010(平成22)年1月1日
洛和会ヘルスケアシステム 理事長 矢野 一郎
- ▼ 政権交代
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今回の政権交代で、私たちの医療界はどう変化するのか・・・?未だ具体的な方針や政策が打ち出されていないので評価できませんが、旧政権よりもっと現実的で具体的な中・長期計画を示していただきたいものです。また、次の選挙では政権復活や固守のために、医療や福祉政策が目先の小道具に使われるなら、ますます混乱は拡大するのではないかと危惧するところです。
さて小沢一郎幹事長(選挙担当)の戦略は、旧政権の大物をバッタバッタとなぎ倒しました。特に「女刺客」たちもその目的を達し、大躍進の立役者となりました。この事象を見ると、今後の医療経営にも女性のパワーが大きく活動される時代が来ると予見され、急速に女性の医療法人代表が増えると感じます。
特に医療・介護の運営には、女性パワーに頼るところが大きく、女性経営者の躍進に最適な場と思います。しかし、今回の「女刺客(先生)」にも、問題はあります。特に選挙中の先生たちの言葉は『女性感覚で・・・』とか『(この選挙区に)お嫁に来ました』などと、女性(票)に感覚的に訴えられているところです。
感覚で票が集まったとしても、票を入れた人の期待は多種多様(バラバラ)であり、実際に政権が動き出したら期待はずれと感ずる人が多くなるのは否定できません。女性特有の感覚(感情)だけで経営すると、内部分裂する危険性が増すのと一緒です。経営(的)感覚とは、過去の経験や知識を元にジャッジする能力(センス)とするなら、経営(的)視点とは未来の社会が何を要求するかを予見する能力でしょう。政治家だけでなく経営者も(男女問わず)、この感覚と視点のバランスを保ち、安定的かつ恒常的な社会(会社)をつくって欲しいと願うものです。2009(平成21)年10月20日
洛和会ヘルスケアシステム 理事長 矢野 一郎
- ▼ 洛中洛外図
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皆さん、京都の人なら洛中洛外図という言葉と絵は、一度は聞いたり、見たりしたことがあるでしょう。私も昔からよく見ていましたが、なんだか雲だらけのわけのわからない屏風としか思っていませんでした。ところが、ある絵雑誌にその詳細図が載っていて、愕然としました。そこに描かれている人々の生き生きとした表情、それに全体の構図のすばらしさ、こんなものがあったのかと感激しました。
洛中洛外図は京の都を一望し、洛中(市中)と洛外(郊外)の四季とそこに生活する人々の風俗を描き込んだものです。室町時代以降、300年にわたって描かれたもので、現存するのは100枚ぐらいといわれています。現在放送中の大河ドラマ「天地人」の中で、織田信長が上杉謙信に贈った洛中洛外図屏風(米沢市上杉博物館所蔵)
もその一つです。洛和会丸太町病院の近くにある「京都アスニー」の壁画
に、この模写があるので一度見てもらえたらよいと思います。
洛中洛外図の特徴は、他の屏風と違って左右六扇の屏風に、1年間の四季や京都の全体図がすべて描かれていることです。一見すると京の町並み全体をまるごと描いているように見えながら、実際には、必要でないと絵師が考えた建物は金雲で隠し、それとは逆に、金雲で囲まれた人々の暮らしは、思い切りクロ-ズアップされ、今にも動き出しそうに浮かび上がっています。この人々の表現が実にいい。このことを知ってから、私は近視用の単眼望遠鏡を買って、1時間ぐらいかけて博物館で洛中洛外図を見ます。高貴な人もいれば、貧しい人もいる。寝ている人もいれば、一所懸命、売買に精出す人もいる。「夫婦のいさかい」など、一人ずつ見れば、実に面白い。ちなみに、上杉本では"2,500人"もの人々の姿を、これほどまでに、生き生きと描いているのです。
われわれ洛和会ヘルスケアシステムも、金雲のかかっている所が、一つもなく、その中で働く人が、いきいきと働き、夢ある生活をし、2,500人のそれぞれが意味のある人生を送れるような組織にしたいと、いつも願っております。2009(平成21)年7月20日
洛和会ヘルスケアシステム 理事長 矢野 一郎
- ▼ 手
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最近、よく手を見る。手のしわが増えてきたな、と思うことが多い。苦労してきたからな、と自分をなぐさめる。
あるとき、ふと人から聞いた話を思い出した。
手の指には、お父さん指(親指)、お母さん指(人差し指)、お兄ちゃん指(中指)、お姉ちゃん指(薬指)、赤ちゃん指(小指)がある。
お父さん指とお母さん指はくっつきますか? たしかに親指と人差し指はくっつく。お父さん指とお兄ちゃん指、お姉ちゃん指、赤ちゃん指もくっつく。では、お母さん指は? お兄ちゃん指、お姉ちゃん指はくっつくが、赤ちゃん指とは難しい。たしかに小指とは難しい。では、お父さん指をお母さん指にくっつけてやってみる。すぐくっついた。たしかに、2人でやれば簡単。
また、親指だけが、ほかのすべての指の顔を知っている。親指だけが正面からすべての指の顔を見れるのだ。
われわれ洛和会ヘルスケアシステムは、この4月に新卒者153人、既卒者90人、計243人の採用をした。この未曾有の不景気のなかでの大量の採用である。各自がこの大量採用の意味を考え、洛和会ヘルスケアシステム(手)の中で、何のための指なのか、どの指にならねばならないのかを考え、みんなの総力を結集して、不景気のなかでも負けることなく、打って出てほしい。2009(平成21)年4月20日
洛和会ヘルスケアシステム 理事長 矢野 一郎
- ▼ 日本人かく戦えり
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先日、朝日新聞の記事で初めて知ったことがあった。
日本の軍隊に、第二次世界大戦で、無条件降伏(昭和20年8月15日)から3日後に、戦争をせざるを得なかった部隊があったということである。
昭和20年8月18日、旧ソ連軍が日本の千島列島の北のはずれの占守(シュムシュ)島に侵攻してきたのである。終戦時、この島には、戦車64両のほか、独立歩兵第282大隊などが配備されていた。指揮官は池田末男大佐、戦車第11連隊連隊長であった。
池田大佐は、終戦後にもかかわらず、撃退することを決心した。2日間の戦闘により、ソ連軍は撃退されたが、占守島の日本軍の死傷者は1,018人、ソ連軍は1,567人であった。しかし、大戦でソ連軍の損害が日本軍を上回った唯一の戦場であった。
池田大佐の決心については、敗戦を境に日本人の古くから持っていた価値観も変わってしまい、「平和ボケ」してしまった現代、議論しても始まらない。池田大佐という人は、敵が来れば戦う、そして、運悪ければ死ぬと教育され、それを義務と思って生まれてきた「軍人」だと思う。私の父、先代の理事長も、軍人、軍医であった。死に損ないの人生ならこそ、世の中のためになる仕事をすると言って、人生を生きてきた。
私は、思う。池田大佐ほどの大責任の決心はできないかもしれないが、洛和会ヘルスケアシステムの全職員が、車の運転中、交通事故を目の前で見てそのまま素通りしたり、介護を必要とする人を目の前で見て逃げだしたり、そういう職員が一人もいない洛和会にしたい。もう一度、自分が何の「プロ」なのか考え直し、目の前なら前後見境なく飛び込む、自分がそういう惻隠の情を専門的に特化された職業であることを自覚してほしい。2009(平成21)年1月1日
洛和会ヘルスケアシステム 理事長 矢野 一郎









